403の出来事


エンジン不動

 2004年12月17日に納車された403だが、翌18日は通勤にその翌日は買い物にと活躍してくれた。明けて月曜日の朝、出勤の際に上り坂の途中でエンストしてしまった。セルモーターは回るのだがエンジンがかからない。仕方ないので、ギアーをニュートラルに戻し、自宅までの約500メートルをバックで折り返し、セルモーターを使って車庫入れをした。そう言えば、前日もちょっとエンジンがかかりにくいという症状が出ていたが、排ガスが青白かったのでプラグがかぶったかな位にしか思っていなかった。帰宅後JAFに見てもらったが、キャブレターのフロートがきちんとはまっていなかったらしいことが判明、しかしそれでもエンジン不動であった。いつも、お世話になっている修理工場に引き取って看てもらったところ、ガソリンタンクがかなり錆びており、キャブレターが目詰まりを起こし、一種のガス欠状態になっていたらしい。1週間かけて、洗浄してもらったが、「いつ症状が再現してもおかしくない。」と言われた。旧車ではよくあることと分かっていたが、とうとう自分の身に降りかかってしまった・・・。


神戸市−川口市−岡崎市間走破

 2005年の年明け早々、引越すことになった。1月10日の早朝、神戸市を発ち丸一日かけて川口市までやってきた。こちらでも、引っ越し後の買い物や粗大ゴミ捨てに活躍してくれた。そして、一息ついた13日の早朝、岡崎のショップへ立ち寄り、爆弾の処理と最終整備の依頼をしてきた。そこで懐かしいAmbassadorに対面してきた。三河ナンバーが付けられており、売り物件として並べられる日が近いことが伺えた。

 Ambassador For Sale
 いい人に見つかり、山口県で活躍中


おかえり403−爆弾処理終了

 3月初め、ようやく403が爆弾処理から戻ってきた。頼んでおいたメンテナンス用の部品も一緒に持ってきてくれた。前所有者であるコレクターの方から譲ってもらったもので、ほとんど言い値だから、高いの何の・・・。
 休みの日に早速ドライブに出かけた。慣れない車に慣れない道、東京の渋滞とさんざんな目にあったが、いやぁー、クルマって本当にいいものですね。403にも日本の風景をあちこち見せてやろうと思う。

403の新しい家 パーツ
403の新しい家 下宿の部屋から撮影 フランスの新聞とともにやってきたパーツ。これだけでウン万円なり。

エアコン不調

 いくら川口市は神戸市より北に位置すると言っても、エアコンを初めて入れたのが6月になってからと、自分でも信じられない記録を作ってしまった。はたしてうまく作動するのかどうか、まあ、エアコン自体は今のものだし、そう心配はしていなかったのだが、全く効かない。たまたま、近所に(と言っても車で15分はかかるが)車専門の電機屋さんがあって、季節柄エアコンの点検のキャンペーンをしていた。結果は、ガスが全く抜けてしまっていて、機能していなかった。ガスと蛍光剤を入れてもらって、どこから漏れたかわかるようにしてもらった。その帰り道、事件は起こった。「キィー、ギャー」と言うどこかで聞いたことのある、妙に懐かしい爆音、そうAmbassadorで経験した、エアコンベルトの鳴きであった。すぐさま引き返したものの、「ここは電機屋なのでねぇ・・・。」と言われ、近所の整備工場数軒にも断られ、途方に暮れかかったとき、Webでブルーライオン浦和が近くにあったことを思い出し、飛び込みで行ってみた。ここでも、断られかけたが、ベテランの整備士さんが来られて、「ボンネット開けてみて。」と言ってくださり、「これなら何とかなるよ。」ということなので、お願いしてきた。そして、新たな問題点が発覚、ヒーターホースに亀裂が入っていた。こちらは、後付けしたオルタネーターが干渉しているのが原因で、オルタネーターの設置場所の変更が必要であった。納期は、最初1週間あれば十分と言うことであったが、結局2週間かかって上がってきた。エアコンは快適なのだが、旧車固有の現象、オーバーヒートが心配になってきた。水温計は完全に振り切っているし、エンジンを止めて降りると、ラジエターからグツグツと沸騰する音が聞こえている。夏を乗り切れるのか。


1年目を総括

 2005年は公私ともに激動の年だったが、我が403はほとんど手元になく、通算で2箇月くらいしか稼働しなかった。ただ、テレビでよく見ていた秩父・奥多摩や伊香保温泉、霞ヶ浦など神戸からでは到底ドライブ出来ない所に行けて、内容的には大満足であった。


オーナー倒れる〜別離の予感

403が戻ってこないまま、楽しく長野行きの準備をしていた4月下旬のとある日の夕方、映画を見終わって伸びをしたところどうも様子がおかしい、全身に力が入らないし、猛烈な頭痛が・・・。日頃から高かった血圧に脳血管が耐えきれなくなったのだった。病名「右被殻出血」救急搬送された病院で緊急手術をしていただいたいて、一命は取り留めたものの、今は左半身麻痺の後遺症が残っている。。発症後1年3ヶ月経った、2007年7月通勤のためにということで自動車運転の練習で、リハビリ訓練センターに入所、練習前に、試験場で適性検査を受けるように言われたが、結果、取り消しにはならなかったがオートマ限定の条件がついた。今回の件をショップの社長に連絡し、作業自体は急がないが、403のAT化をお願いした。



さよなら403

 403のAT化は不可能とのショップの判断に従い、403を手放すことにした。手放しても仕方ないかなと思わせるような車を手配して下さり、納得できたので403から降りることとなった。