Ambassadorの生い立ち

生い立ち01

ここでは、Ambassadorの生い立ちを紹介したいと思う

 規格統一されたデザインや、あまりにも多くの電子部品によって組み立てられた現代の車と対極に位置する純英国血統のアンバサダーは、まるで時の雪塊にかくれていたかのように今日まで静かに息づいていた。
 
 そしてその歴史は、1946年に遡る。
 
 第2次世界大戦終結後<ナフィールド社>は、英国本土で、医師、弁護士、教師など知的職業に携わる人々と、それらの家族を対象にしたファミリーカー<モーリス・オックスフォード>シリーズの販売を開始する。
 
 この車は採光に富んだ広い室内と、スムースな乗り心地、耐久性を十分に考慮した設計で一躍脚光を浴びることとなる。そして当時の副社長だったサー・マイルズ・トーマスは、この車の海外提携へと動き出す。その先は、英国と親密な関係にあった印度が選ばれ、その相手として当時最も富を有していたウエスト・ベンガルに本拠を置くビルラ財閥の<ヒンダスタン・モータース>との提携に至るのである。
 
 1949年よりオックスフォードの実質的販売が印度で開始され、1959年現在のアンバサダーのスタイルが登場することとなるのだが、これはオッスクフォードのシリーズ3がその基本となっている。エンジンは、Bシリーズの1489cc、OHVであった。
 
 面白いことにアンバサダーは、1949年から59年のシリーズ3までの約10年間すべて英国よりのキットで組み立てられていた。その後、BMCはピニンファリーナとの道を選ぶこととなるのだが、<ヒンダスタン・モータース>に対し、パーツを供給し続けたのである。
 
 これは、アンバサダーがモーリス・オックスフォードの模倣ではなく、そのものであるという紛れもない事実であり、英国生産がオックスフォード、印度生産がアンバサダーという点しか相違がないのである。
 
 英国本土でのモーリス・オックスフォードの命が絶たれた後も、新車として長年に渡って純粋無垢にその姿を今に残している車は、自動車史上類が無いといっていい。
 
 それ程までに貴重な遺産といえるアンバサダーは、英国本土でも再びブームの兆しを見せている。

以上、Ambassador カタログより抜粋(一部機種依存文字は置き替えています)


生い立ち02